2021.11.12 | 解説

障がい者のパラスイマーを指導している経緯と今までのこと

皆さんこんにちは。トータルケアラボの鳥飼です。
このブログは、スポーツ、健康を目指す、そして、ダイエットを頑張る皆様のために、
少しでも役立つ情報を発信できたらと思って作っています。

Youtube をやっています。

過去の動画も載せていますのでこちらからチェックしてください。
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さて、YouTubeを久しぶりに昨日公開しました。

今日のテーマはこちらの動画についてです


動画の更新がすごく久しぶりになってしまったんですね。

内容としては、トータルケアラボにも通ってくれている優吾くん。
林優吾くんは障害を持っている水泳選手です。

知的障害を持っているんですけども、トータルケアラボが、パラ水泳チームを持っています。
その水泳チームの名前はトータルケアラボを略してTCLという名前でやっています。

そのTCLの選手として、林優吾くんは水泳を頑張ってくれています。
トレーニングジムでも、週1回ですが自分のスタミナを向上させるため、
パワーを向上させるため、
そのときのテーマに合ったメニューをしっかりとこなしてくれています。

動画の内容に触れるというより裏話や僕自身がジムのトレーナーなのにバリバリに水泳指導をしているという2足の草鞋状態なのが珍しいと思うので

今日はそういった経緯についてお話ししたいと思います。

優吾くんと鳥飼との出会いやこれまでの経緯についても含めて、お話をしてみたいなと思います。

そもそも私鳥飼は、社会人になりたての大学を卒業したときに、
トレーナーではなく、水泳のコーチとして社会に出ました。

更に言えば、もっと昔の大学生のときから、スポーツクラブでプールのコーチとして4年間、
活動を行っていました。
大学も体育系の大学で専攻も水泳のバイオメカニクスの研究室に所属していました。

なので、今ではジムのトレーナーをやっていますが、
元々は、プール1筋の活動を行っていました。

現役中に自分のしてきたスポーツも水泳ですし、
水泳でオリンピック選手を輩出したいと思い、
水泳のコーチになりたいと夢見ていました。

社会人になって、
関東を中心に、水泳指導に明け暮れる6年

スイミングクラブのスタッフをやっていました。
赤ちゃんちゃんから高齢者まで、
泳げない人の水慣れ、そして初心者の人から
全国で1世界大会を目指す選手までいるようなスイミングクラブで、
指導をさせていただいておりました。

その関東時代のときに、
プールの近くに会社がやっているトレーニング施設というものがすぐ近くにありました。

プールの中にもあったんですけども、自転車とダンベルがある程度の
水泳選手をトレーニングさせるには少し心もとないトレーニング設備しかなかったのを覚えています。

しかしすぐ近くに同じ会社のトレーニングジムがありました。

そちらはしっかり専業のトレーナーもいて、トレーニングの指導をいつでも受けられる。
そんな環境でした。

そこで、僕は最初に水泳選手に対するトレーニングの必要性
そしてトレーニング方法そういうものを学ぶ機会がありました。

その時点では、水泳をメインで指導していきたいと思っていたので、トレーニングというのはあくまで付属の
オプションの一つとして必要なものだという認識で学んでいました。

しかし、トレーニング指導方法を学ぶにあたり、
人の体というものを根本から見直す必要があるということに気づきました。

人の体はどういう仕組みで、どういうもので、解剖学的には、運動学的には、
運動連鎖的には生理学的には、、、、

そういった基礎となる、考え方、そして自分の知識不足に気づかされました。

トレーナーでも水泳指導でも、基礎となる学問は同じであるということに気づいたわけです。

そして、自分の覚えている知識というのは水泳指導に特化したところのみで
その学問全体を見渡したときに、一部しか理解をしていないということに気づきました。

そして、その学問である運動学であったり、生理学であったり、基礎となる解剖学

その学問を広くそして、より深く、学んでいくことが自分の指導の幅を広げるということに
その時気付いたんです。


水泳選手に対するトレーニングだけを指導したいと思っていましたが、
トレーニング指導するのであれば、
選手だけではなく同じ人間の体である全ての人、子供もそうですし、
スポーツをしていない普通の一般の方々、そして高齢者、障害者、

全ての人に同じ「人間の体」という共通点があります。
当たり前ですが。(笑)

人間の体を知ることで自分の指導をする幅を広げることにもなりますし、

より広く深く知ることで、選手指導もさらに正確に行えるということに気づきました。

そこから、トレーニング指導というのが、僕の中で、オプションの一つではなく、
水泳指導と同じ主力の活動内容となっていきました。

そこから、僕は今日に至るまで、
トレーニング指導をすべての人に行うようにしています。

また幅は広がり、運動指導という意味で様々な運動を指導しています。

有酸素運動もそうですし、レクリエーションもそうですし、トレーニング指導も行っています。
また、水泳の指導も変わらず続けています。

知識の幅、興味の幅が広がったこともあり、もちろん、健常者の方にも指導していますが、
ありがたいことに、障害者からの今のご依頼というのはたまに問い合わせも続いています。


最初は、福岡に戻ってきて、会社を作って、ご依頼というよりも、
お願いという形で、1人の女の子と1人の男の子を指導することになりました。

その2人に指導をしていく中で、1人の男の子は外れ、

代わりに1人の男の子が1年間2年経ったときに加入してきました。

その新しく加入してきた男の子が、今の優吾くんです。


その後一緒に練習をし始め、もう1人の女の子も卒業し、
今では一対一で林優吾くんを指導しているということになります。

初めて出会ったときは、福井県で行われる国体のために練習したいというものでした。

国体というのはいつも健常者の国体が行われた後に、障害者の国体が開かれます。

障害者スポーツ全国大会という名前だったと思うのですが、
その福井県で行われた国体に一緒に出場をしてきました。
私は引率をさせていただきました。

その国体のために2ヶ月ほど前の、夏ぐらいにうちのチームに加入してきたのを覚えています。
当時優吾くんは背泳ぎの選手として、
国体に出場し、50mの背泳ぎで確か銀メダルを取った。
のだと覚えています。


そのとき、指導して覚えているのは泳ぎが基本がまだちゃんとできていないなというのを記憶しています。

特に障害者水泳でありがちなのですが形は似ているけど基本ができていない。
だいたい浮かべるけど本質的な浮かび方はできていないであったり、
潜れてはいるのだけど、正しい潜り方でもぐれていないであったり、

そういった本質的な水慣れの技術の習得というところが不足している。
そういうふうな印象を受けました。

これはスポーツにおいても違うことにおいてもそうだと思うんですけども、
基本というのが身に付いているか、身についていないかで
その先の幅が変わると僕は思っています。

そして、いつ技術を磨いていくのかという選択が必要になってきます。
通常は基礎は最初に磨き上げます。

しかし、そのとき、優吾くんが目指していたのは、
金メダルを取ることです。
そして、パラリンピックにいずれ出場すること。

それが、優吾くんのモチベーションでした。
夢でした。

今から大会にバンバンてなきゃいけない、現役の選手でありながら、
水慣れというものを習得するにはものすごく時間がかかります。

その間はまったく距離を泳ぐことができない。
泳いでもいいんですけども、泳ぐときつくなるのでせっかく習得した呼吸の方法などを忘れてしまうんですね。

苦しくなると人は身についてない基礎というのを無視して、より楽によりややりやすい方法というのを選択してしまいます。

本当の意味で身についてないときつくなったときにこの呼吸の方法だったら、楽に泳げるからそうするというふうにならないんですね。

今までやってきたがむしゃらな呼吸の方法にすぐ戻ってしまいます。
そうなると、
水慣れの練習というのを集中的に行う必要が出てきます。

なので一般的な水泳教室では水なれというクラスを最初に作り、
泳ぎに入る前に水慣れだけに特化して、泳ぎというのを作っていくわけです。
しかし、優吾くんの場合はそれができませんでした。

なぜならもうある程度泳げてしまっていますし、

もうレースシーズンにも入っていますし、

水泳選手としての活動も始めてしまっているからです。

今から水なれの練習に集中するということは、選手活動ができなくなるということを意味しています。

泳ぐ距離が一気に減り、体力も落ち、レースに出れない。

そのような状況を作らないといけなくなってしまいます。

それは、本人も望んでいないでしょうし、僕も望まないことです。
じゃあどうするか。

それ以外で伸ばせるところとにかく伸ばすしかないです。
力んでしまうものもできなくなるぐらいまで。

それは脱力ということを身につける必要があります。

そのためには水泳で培う筋力、水泳で培う体の作り、

そういうものを身につけるためには、とにかく、最低限を泳ぐ必要があります。

当時の練習距離を聞いていると、合計で1000メーター多くて1500メーターを泳いでいるというふうにお聞きしました。


とてもじゃないですが、足りないです。

当時、ウォーミングアップで、30分、ゆっくりでもいいから続けて泳ぐ練習というのを取り入れた記憶があります。
とても苦しそうでした途中でどうしても止まってしまいます。
これは競泳において、泳げていない、泳ぎに慣れていない。
「浮かんでいる」という表現をよくします。

先ほど言った通り、水泳の基本が水慣れであるのであれば、
選手の基本は、泳ぎ慣れです。

その泳ぎなれて、まず必要になってくるのは、どんなペースでもいいから、
30分続けて泳ぐことです。

少し生理学的な話になってしまいますが、
有酸素運動と言われる3システムをもとにして、エネルギーを作り出していく。

いわゆる解糖系と言われるエネルギーを生み出すシステムというのは三つあります。

最もハードなエネルギー出力を求められるATPCP系

2から4分までの出力
だいたい、だいたいの時間なんですけど、
この時間の出力を求められる乳酸系

最後は、クエン酸回路の中で電子解糖系での中で行われる有酸素。

これらの三つの仕組みを行うときに、スプリントを行いたいのであれば、ATPをとにかく出力していくということが必要になりますし、

長いレース100m200mを行いたいのであれば乳酸がたまってきます。
その乳酸能力を高めるためにもちろん、乳酸系をトレーニングする必要があります。

しかし、有酸素の基礎的なエアロビの能力というものが不足している選手は、
乳酸系のトレーニングをいくら行っても底上げできませんし、
ましてや、レースでトップになるというためには、
まずは有酸素能力を高め、乳酸能力も高めていく必要があります。

その一番の土台となるエアロビ能力、有酸素能力というものが、
当時は確実に不足していました。


そして、および込みを行うこと。

最初は泳ぎこみと感じていた3000mも3000メーターか6000メーターの練習がだんだん普通になってくるんです。
それこそが、
最も大事なことだと思います。

4000メーター5000メーターを泳ぎ込んでいると感じるということは

まだ適性が2000mくらいの自分の体力が向上していないわけですから、
よりハードに一歩上の練習を取り組むということがまだできないわけです。

それを泳ぎ込みと捉えている間は、4000m自身が一歩上の練習になってしまうので、先のことができないんですね。
強度を上げることもできません。

なので、まずは3000メーターから6000メーター、段階的に泳げるように

ゆっくりでいいので、泳げるようにしていく。
ということに特化しました。

そして徐々に基礎的な水泳の能力向上するとともに、
適性というものが見えてきます。

その適性って何かっていうと、果たして優吾くんは本当に背泳ぎが適性のある種目なのかどうなのかという話です。

これは時期によっても変わってくるので、正直なんとも言い難いのですが、

例えば私は中学校のときは、背泳ぎの100mに出場して、中体連という大会で出場しました。九州大会も背泳ぎで出ていました。

しかし、どうも適性はクロールだったようです。

その後、クロールの練習をすると、背泳ぎよりもあっさりと早くなりました。

というように、その人の適性というのはその時において、そのときの日出せる能力、その時得ている水の感覚というものによって変わってきたり、あとは、体の作りも成長期なので変わっていきます。


トレーニングを行っていればさらに変わってきます。
その体の作りによっても変わってきたりもします。
みながら僕が言う適正を見ていると、
これは、背泳ぎではないということに気づきました。

上を向いて軸を取れない。背浮きができないということに気づいたんです。

気づいたというよりも、練習をしていて、
背浮きがまっすぐに浮けない、膝が折れてしまう、お尻が落ちてしまう。
その状態で背泳ぎをずっとやらせるということの方が腰に負担だと。
思いますし、

多分ですがあの状態で背泳ぎを続けていると腰を痛めて終わっていたような気がします。

私は、水泳のコーチとしてそのとき、
これは種目を転向した方がいいのではないかと思いました。

思ったんですけど、果たして本人の夢
「パラリンピックに出たい。」
という夢の中に、
「背泳ぎでパラリンピックに出たい」という夢がもし入っているのだったら背泳ぎで行くべきです。

どんなに向いていないとしても、本人のために本人の成長のために、
本人の思いを背いて無理やりやらせるということは当然指導者としてはしませんし、してはいけないと思います。

そこの確認作業を行おうと思ったときに、
これが難しい話なんですけど、知的障害を持っている知的能力が5歳程度しかないということを僕は知っていたのですが、
その思いを聞くというところまで、コミュニケーションがまだ取れる状況ではないと感じました。

大変だったんですよ、これが。
本当に。

背泳ぎではなく、自由形も練習してみるかと聞くと、
簡単に「はい!」とかえってきます。

それが本心なのかどうかすらわかりません。
多分、そこまでの事情が伝わってないです。

僕が、このまま背泳ぎで練習をしていけば、腰を悪くするかもしれない、

それでもそのまま練習を続けるか??と聞いても多分、「はい」と言われてしまいます。

すべてを先生に委ねられている感じがしました。

そこで僕は価値観を変える必要がどうしてもあったのです。

僕の価値観としては、コーチというのはあくまで選手優先です。

選手の思いを実現するために、サポーターとして周りで技術を教えていく。
というものだったのですが、
知的障害者というものを目の前にした指導をなんせ初めてするもので、
本心はどれだというのを探る期間がものすごく必要になりました。

国体が10月に終わり、そこからの期間、いろいろ試してみました。

練習でも試しますし、大会でも試してみました。
違う種目を練習させたり、
公式試合ではなく、練習試合のようなものへ出場してもらったりして本人の様子を見ていくということをしました。

あれは国体翌年の6月だったと思います。

パラのの九州大会というものがありました。

九州大会を見たときに、
自由形で2位を確か取ることができたのかな、1位だったのかもしれません。すみません。

でも悔しがってたんですよね。

なら2位ですね。
そのときに悔しがっていました。

クロールで出場したのに、すごく悔しい顔して、次こそは1位を取りたいというふうに言っていました。
そのときに気づいたわけです。
これは「種目」ではないんだなと。

やっぱり大事なのはメダルの色
そこが全てなんだろうなと。
気づいたわけです。

そして、僕の判断するタイミングになりました。

本人の適性があると信じているから自由形。そして、2種目目として、多分、バタフライが、
向いているんじゃなかろうかと思っていましたので、

1本で行くのではなく、クロール、そしてバタフライ、この2種目で練習を進めていくということに
しました。

そして、そこから練習を始め、さらに1年経ったときに、
残念ながらコロナウイルスが世界中で猛威をふるい、
大会という大会が全てなくなり、
僕たちの練習環境もなくなりました。プールも閉鎖されました。

なかなか泳げない2年間でした。
今年の出場した試合も、2月に行われた大分県の練習の大会。
そして、今回の動画で行われた。北九州での大会。
その二つしか出場できていません。

練習も10月からやっと普通に及ぶことができるプールができたという段階で、

そのプールすらも緊急事態宣言中は閉まっていました。

やっとですね。
やっとここまで来たんです。

今回の動画は、
そのような事情があるうえでの動画になっております。

ぜひ、最初から最後までチェックしてみてください。
これが僕の今回の動画の裏話でした。

いかがだったでしょうか?

満足しています僕は。

裏話が喋れて(笑)
ではまたブログをぜひご覧ください。
さよなら。